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断食 ~ラマダン~

断食 ~ラマダン~

断食とは、ムスリムが個人的神を深くに崇拝する行為であり、その中で神を意識するレベルを高めようとするものです。断食の行為は、世俗的な活動から離れて、神を思い出すことに心を向けるものです。 In the Name of Allah, the Most Gracious, the Most Merciful  慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において ラマダンの自制心は、精神を神に向け崇め、讃美し、神の戒めに従うことの訓練なのです。ムスリムはこの月、創造主との関係を強化することに集中します。ラマダンは、精神的な反省、祈り、善行を行うための時間であり、断食は、自己規律、自制心、そして慈悲の精神を養うことを目的としているのです。 ラマダンはイスラムの太陰暦の9番目の月(間)です。ラマダンは新月を迎えるところから始まり、健康で且つ、成人したムスリムは一ヶ月間断食することが義務付けられています。断食は、アッラー(神)への崇拝と服従の行為として行われます。夜明けから日没までの間は、ムスリムはすべての飲食物や性的接触を控えます。この物理的な要素に加えて、断食の精神的な側面では、噂話、嘘、わいせつ行為、一般的な罪深い行為を控えることに重点が置かれています。 “信仰する者よ。先代にも定めたように、あなたがたにも断食が定められている。コーランにあるようにラマダンは、人類への道しるべとして、定められた月であり、自己規律と明確な善悪の判断を養う期間なのです。よって神の住む場所にいる者は、その月を断食に費やすべきである。[コーラン 2:183,185] イスラム教は、アブラハム、モーゼス、イエスの宗教の延長線上にあります。したがって、ユダヤ教やキリスト教で断食について言及しているのを見つけることは驚くべきことではありません。他の宗教でも、断食の精神的な利点を熟知しているため、断食を奨励しています。このように断食は、自己を律し、神に近づくための手段として普遍的に知られています。断食はイスラム教の五行のうちの第三番目でもあります。 その他には、信仰の宣言(Shahadah)、祈り(Salah)、慈善寄付(Zakah)、メッカへの巡礼(Hajj)などがあります。断食は信仰の基礎を形成する行いのひとつです。断食は、神への親近感と、常に善行に励む気持ちを植え付けます。 断食中は、思考と行動の両方の純粋さが強調されます。預言者ムハンマドは、次のように述べていると伝えられています。”ラマダンの間、卑猥な言葉や卑猥な行動を慎まない者には、アッラーは断食を強いることはしません。″ 預言者ムハンマドは、次のように述べています。 “断食とは飲食を控えるだけでなく、猥褻な行為を控えることである。もし誰かがあなたを罵倒したり、あなたに対して誰かが無知な行為をした場合は、『私は断食中です』と答えなさい。″ 日の出の直前に食事(スフールと呼ばれる)をし、日没後に別の食事(イフタールと呼ばれる)をするのが一般的です。断食(イフタール)は、預言者ムハンマドの伝統に従い、通常、日付の入ったもので構成されています。ラマダンはコミュニティの結束を強化します。イスラム教徒はイフタールの食事にお互いを招待し、隣人、家族、友人間での気づかいと友情を交換し合います。また、多くの人々がモスクにイフタールの食事を持って行き、より広い地域社会、特に貧しい人々にイフタールを分け与えることをします。 Fasting in the month of Ramadan ラマダン月の断食 思春期から心身ともに健康であるすべてのムスリムは、ラマダンの間は断食をしなければなりません。イスラム教は実用的な生き方であり、断食が困難な人には苦難を与えません。病人や旅行中の人は、病気や旅が終わるまで断食を延期することができます。妊娠中の女性や授乳中の母親も断食を延期することができます。高齢者で断食ができないほど体力のない人や、病気で断食ができない人は、断食を免除されます。彼らに余裕があれば、欠食した日ごとに貧しい人に食事を与えることができます。精神的に病んでいる人も断食は免除されます。 BENEFITS OF FASTING 断食の恩恵 断食は、イスラム教徒が自分のレベルの神の意識を高めようとする神への深い個人的な崇拝の行為です。断食の行為は心を世俗的な活動から離れて、そして神への認識を高めようとします。 断食をすることで、人は神の多くの恩恵に気づくようになります。飢えと渇きは、断食をしている人に、貧しくて食べることができない人のことを体感させます。断食は、神の概念を再確認させ、神との絆を無駄にすることは、すなわち神への恩を忘れていることにあたります。 預言者ムハンマドは言いました。 「アッラーの御喜びのために一日だけでも断食する者は、アッラーはその顔を地獄の火から遠ざけて下さる。70年という拷問のような長い月日も1日の断食でその過酷な人生から逃れることができるのです。」 「断食者の睡眠は崇拝行為と見なされ、彼の沈黙は神の栄光と見なされ、彼の良い取引に対する報酬は倍増され、彼の嘆願は受け入れられ、彼の罪は許されます。」 断食による飢えと渇きは、私たちに、貧しくて食べることができない人々の状況を体感させ、断食をすることで、個人は神の多くの恩恵に気づくようになります。そして神との絆をより強くするのです。また神との絆を無視することは神への恩を忘れていることに当たります。 イスラム教徒は、ラマダンの間は特に寛大になり、神が与えてくれた恩恵を分かち合い、慈善の心で惜しみなく与えるように教えられます。私たちの富は神からの信頼であり、本当の意味での自分のものではないと考えられています。 ラマダンの規則を注意深く守る者は神に近づきます。 ラマダン中の自制心は、神の戒めに従いそして常に尊崇ことに心と身体を慣れさせます。 このことからラマダンは精神と心身の規律を再調整させる行為でもあるのです。また、神からの恩恵の程度は、個々のムスリムの日々の行動と誠実さによって異なります。 RAMADAN IS THE MONTH OF…

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Concept of God

Concept of God

神の概念 「啓典の民(キリスト教徒)よ」あなたがたは宗教上のことで過大なことをしてはならない。アッラーに関しては真理以外のことを言ってはならない。マリアの息子キリスト・イエスはアッラーの使徒にすぎません。アッラーがマリアに託された御言葉であり、アッラーからの発した霊力にすぎません。だから、アッラーとその使徒を信じなさい。決して三位一体とは言ってはいけません。その方があなた方のためになるのです。あなた方のためにアッラーは唯一の神なのです。神に讃あれ。神にどうして息子がいるであろう。アッラーは天にあるもの、地にあるもの、すべてを所有するアッラーは管理者として万全なのです。[コーラン4:171] 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において “伝え知らせなさい。かれはアッラー、唯一の神なのです。アッラーは永生の絶対的存在です。かれはお産みなさらないし、お生まれになられたのではありません。アッラーに比べ得るものは何もありません” [ コーラン112:1-4 ] “ 言語には1つ、または1つ以上の用語を持っています。神に関して使用されている言語で神という場合は時にはより小さな神々をいいます。 これは‘アッラー’という言葉には当てはまりません。アッラーは一つの真の神の固有名詞です。誰もアッラーと呼ぶことはできません。この言葉には複数形や性別はありません。 すなわち「神々」や「女神」とも異なるのです。 アッラーはイエスの言葉であるアラム語の神の個人名です。アッラーという言葉はイスラム教が神と結びつける唯一の表現なのです。 イスラム教徒にとってアッラーは全能の神であり、創造主であり、宇宙の管理者であり、かれに匹敵するものはなにもありません。預言者ムハンマドは同時代の人々からアッラーについて尋ねられました。すると、彼は自らコーランの短い章の1節から引用し答えました。それは神、または一神教の理念である統一の本質であると考えられています。 “伝え知らせなさい。かれはアッラー、唯一の神なのです。アッラーは永生の絶対的存在です。かれはお産みなさらないし、お生まれになられたのではありません。アッラーに比べ得るものは何もありません” 一部のイスラム教徒ではない人々は、イスラム教は神に完全に従うことを要求する冷酷で残酷な神であり、愛情がなく優しさがないと主張します。しかし、このことの1つを知っていれば十分です。114の各章コーランは次の節から始まります。預言者ムハンマドの言葉の一つ、“アッラーの御名において最も慈悲に満ち、最も慈愛深い”“神は母親が自分の愛 する子どもを愛するよりも愛情深いのです。 神は慈悲深いだけではなく神はまた正しいのです。従って、悪行をする者や罪人は罰を与え、善良な者たちには報酬を与えるのです。実際、彼の慈悲は神に完全に現れています。 長いこと苦しんでいる人々、長いこと人々を抑圧し搾取している人々の両者には神から同じ扱いを受けるべきではありません。彼らに同じような扱いを期待することは信仰を否定することになり、この世で道徳的で徳を積む生活を送っている人々の励みを否定することになります。 イスラム教は神を人間の形で表現したり、富、権力、または人種に基づいて特定の個人や国家を優遇したりすることを拒否しています。アッラーは私たち人間を平等に創られました。私たち人間は自身を区別したがりますが善徳と敬虔さだけでアッラーの恩恵を受け取ることができるのです。 神の本質を理解する ~Understanding the true essence of God~ キリスト教の神は「創造の七日目に永遠の眠りについた」、「神は己の戦士と格闘した」、「神は人類に対する嫉妬と陰謀である」、または「神はあらゆる人間に転生した」という概念はイスラム教の観点からは冒涜とみなされています。 神の固有名詞としてのアッラーというイスラム教徒の独特の使い方は、神の信仰の純粋さを強調しています。神の統一を信じるこの信念は、すべての神の預言者のメッセージ(教え)の本質です。 このためイスラム教の考えでは、いかなる神または人格を神と関連付けること、その人が悔い改めずに死ねば神はそれを許されない重大な罪であると考えています。 創造主であるアッラーはこの世と宇宙に、過去も未来に二つと存在したことも、また、未来にアッラー以外の神が現れることもないのです。よって、創造主は永遠なのです。 もし彼が永遠であるならば、彼は生じず、彼が存在するようになった原因がないならば、彼のいる環境が存在し続ける原因とはならず、つまり彼は自給自足でなければならないということになります。 彼自身の存在の継続のために何にも依存していない場合、この存在には終わりは無いのです。 創造主はそれゆえに永遠であり、”彼は最初で最後の者であり、明白で不滅である。”のです。 [コーラン57:3] (注)アッラーは空間も時間もなく、時空に超越なされている。つまり、アッラーはわれわれの側にいて、その行うすべてのことをご存じであられる。 彼は自給自足者です。コーランの言葉でいう独立、自立しているという意味のアルカイムです。つまり、神は人間と違い、食べていかなくても永遠に存在するのです。 神は何でも創造できます。人間も自然も。物も。依って、神は自分でこの世に創造したものを維持し続けることも可能であり、また 自分で作った物(人でも国でも)を消すことも出来るのです。 “アッラーはあらゆるものの創造主であり、かれは守護者であり、すべての管理者である。天と地の鍵はアッラーのものである。かれの印を拒否した者こそ失敗者である。[コーラン39:62-63] “アッラーは空間も時間もなく、時空に超越なされている。つまり、アッラーはわれわれの側にいて、その行うすべてのことをご存じであられる。” 神の象徴 ~GOD’S ATTRIBUTES~ もし創造主が永遠で無限であるならば、神そのものもまた永遠で無限でなければなりません。創造主は、その特質を失うことも、新しい特質をまた新たに獲得することもできません。もしそうであるならば、創造主の特質は絶対的なものであることがうかがえます。このような絶対的な属性を持つ創造主は複数存在していると思いますか? 例えば、絶対的な権力を持つ創造主が二人も存在できますか?少し考えてみると、それは不可能であることが分かります。コーランは上記の矛盾に対してこの様に提言しています。 “アッラーは人の子ではない。またアッラーの他に存在する神々もいない。もし多くの神々が存在するのなら、見よ、神々は自分の創造したものを奪い去り、またある神はそれを支配していたであろう。アッラーに栄光あれ。アッラーは彼に帰依するものから自由であられる。[コーラン 23:91] 神は一つ ~THE ONENESS OF GOD~ コーランは、すべての疑わしい神々の嘘を人々に気づかせる。偶像崇拝者に尋ねます。 “あなたがたは(自分で)刻んだものを崇拝するのですか?…

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The Origin of the Quran

The Origin of the Quran

コーランの起源 コーランの起源を知れば、ムハンマドがコーランの著者であると受け入れられない人々の仮説は仮説以上のものになるのです。一体、どうやって無学文盲であった男がアラブ全土の文学に関して最も重要な著者になれたのでしょうか?無学文盲の彼がなぜ当時の人類では発見できなかった科学の真実をひとつも間違えることなく述べることができたのでしょうか。 [Maurice Bucaille,The Bible, the Quran and Science, 1978, p. 125] この啓典(コーラン)は神を恐れる人々への指針です。目に見えないものを信じ、祈りを捧げ、そして神から与えられた中で過ごす。ムハンマドが授かった全ての力を信じる者に、コーランと預言者ムハンマドを信じる者に、この本は信じ栄える者へ神からの真実の指針が書かれているのです。[Quran, 2:2-5]. コーランはイスラム教徒が暗唱する神聖な啓典です。そしてイスラム教徒のあらゆる生活の指針が書かれているのです。これは神からの直接的な啓示であり、最後の証なのです。 今から1400年ほど前、ムハンマド(後、預言者と呼ばれる)は天使ガブリエルを通して神直々の言葉をそのまま提唱しました。イスラムはノア、アブラハム、ダビデ、モーゼ、イエスなどの預言者の教えの続きであり、いくつかの宗教には聖書も与えられました。 イスラム教徒は、すべての預言者によってもたらされた重要なメッセージは同じであったと信じています。それは一つの神を信じ、神をパートナーとして見ず、罪から離れ、神の喜びを得るために献身的な生活を送る事です。すべての預言者は死後の人生について私たちに教えてくれました。神に従う者には楽園からの吉報を与えよう、神に背くことを選ぶ者には地獄と罰が下ることを提唱、警告しました。コーランとは非常にユニークなものなのです。というのも、今日存在する最も古い神からの指針が書かれている書物であり、また、アッラーからの言葉を一字一句損なわず丁寧に書にしたオリジナルの本が現在にも存在するのですから。さらに、コーランは丁度、様々な宗教が人類に誕生しはじめた時期に記録されました。コーランの内容は特徴的です。アッラーからのスピリチュアルなメッセージには、人間、社会福祉、および私たちの一般生活環境の指針を目的としたものが含まれている、ということです。コーランのメッセージは永久不変であり、人種、肌の色、民族、国籍の差別をしません。経済学や貿易の倫理から結婚、離婚、ジェンダー問題、相続、子育てなど、人間の生活のあらゆる側面に関するガイダンスを提供しているのです。 コーランは肉体を非難したり拷問したりすることも、魂を無視することもありません。コーランは神を人間化せず、人間を神格化しません。コーランは、宇宙における神の存在のしるしと、すべては神によって創造、計画、配置されたことを深く言及したものなのです。 「すべてがとても理にかなっていました。」と語ったのはイギリスのポップシンガーCat Stevens (Yusuf Islam)である。彼はこう続けました。 「これがコーランの素晴らしさなのです。内省(ないせい)しそれを理解する。当時はムスリムではありませんでしたが、さらに読み進むことで、その祈りや他者への愛、慈しみを学びました。そして唯一の答えはコーランにあると気づいたのです。そしてこれは神からのメッセージだったのです。」 このパンフレットはコーランの起源や教えに少しでも興味を持っている人々に向けてまとめられたものです。 1)コーランの起源とその信憑性、それらに対する議論 2)コーランは預言者ムハンマドが訴える教義ではなく、事実、神からの言葉が書かれた神聖な書(しょ)であること。 コーランの保存 コーランは1400年以上も暗記と文章で保存、継承され続けています。 ’我々は神からのメッセージを間違いなく確実に受け取った。そして、それは腐敗から守るためである。’コーラン15:9 コーランはイスラム教徒によって暗記、口伝され現在へと継承された唯一の書物である。預言者がまだ生存していた遥か昔から始まり、それは何百万人へと広まり、そのプロセスは現在にも至る。 今日では口頭伝承が(イスラム教徒による)筆記にのみ依存することで生じる最悪の危険をいくらか回避したのではないかと、ジョン・バートンは述べている。[ジョン・バートン, ハディース入門, エディンバラ大学出版局.1994, p27]. ムハンマドは書面によるコーランの保存に用心深く努めました。当時のムハンマドは読み書きができなかったのでコーランの一部が明かされるやいなや、彼は書記官を呼び記録させました。また、書かれた内容を注意深く読み戻して、前後の啓示とつじつまが合うようにムハンマドは彼の仲間たちに指示しました。 完全なコーランは預言者によって暗記されただけでなく、彼の多くの仲間たちによって暗唱、暗記され記録されたものなのです。 預言者が死亡すると、その1年以内に、主な筆記者で構成される委員会によってコーランの写本は作られました。原稿は預言者の仲間たちとコーランを暗唱していた人々によって大々的に承認されると、原稿の複製は第三のカリフの指導の下、作られました。複製は主なイスラム教徒の集会所に配布され、その複製本の一つは現在ウズベキスタンのタシュケントにある博物館に保管されています。また、この複製版は1905年に作成され、米国コロンビア大学で目にすることができます。 コーランを書いたのは誰か? イスラム教徒は預言者ムハンマドがコーランを書いたのではなく、コーランは神からの言葉だと信じています。ここに書かれている事柄はそれを証明しています。 1)歴史的記録文書、およびコーランでは預言者ムハンマドは文盲であったと宣言しています。 「あなた(ムハンマド)はどんな聖書の読者でもなく、あなたはその右手でそれ(コーラン)を書いたのですか?虚実を信じる者たちが我々を疑うのも無理もない。」[コーラン、29.48] 2) コーランが明らかにされたのは当時アラブの民が口頭での詩に非常に卓越した時期でした。市場では今でいうラップ選手権のような大会が行われていたのです。ムハンマドの朗読は聴衆を驚かせ、聴衆はその美しいアラビア語のリズムと音色そして文学的リリックにたちまち魅了されたのです。対照的に、1400年前のアラビア語圏では砂漠の男性とそのシンプルな生活に関連する言葉の表現を制限されていました。 形而上学的なアイデアや科学、宗教を表現することは不可能で、事実アラビア語の文法ができたのはコーランが知られてからでした。またコーランは当時の規則を考案するための基礎として使われました。 コーランの啓示以外説明のしようがないのです。 コーランは唯一無二でその内容に匹敵するほどの文章は未だかつて作り出されていません。貧しく文盲のひとりの男が美しいスーラ(章)を生み出せる訳がないと少しでも疑問に思うのであれば、アッラー以外のその証人を呼びなさい。[コーラン, 2:23] 3)コーランは非常に包括的な本なのです。なぜなら真実の神、形而上学、宗教的信仰、崇拝、祈り、法と道徳などを詳しく解説した本だからです。また、人生、心理学、社会学、歴史、そして科学的事実とユートピアでの原則を含む真実と心理が書かれている神からの言葉がまとめられたものなのです。23年間という長い間コーランの矛盾点について研究した者でさえ、見つからなかったといいます。 ”もしそれがアッラー以外からのものから出たとすれば、かれらはその中にきっと多くの矛盾と不一致を見出すであろう。” [コーラン 4.82]…

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The prophet Muhammad

The prophet Muhammad

預言者ムハンマド 彼はシーザーであり教皇でした。彼は教皇であることを気取らずに、そして、軍を持たないシーザーだったのです。軍隊もボディーガードも宮殿もなく、固定収入さえ無い。もし我ら人類に彼に称号を与えることができるならば、彼の名はムハンマド。神に指揮され、武力と家来を一切持たずしてすべての権力を持った者でした。Bosworth Smifu, Mohammad and Mohammadanism, London 1874, p. 92. 預言者ムハンマドとは哲学者、雄弁家、使徒、議員、戦士、思想家、合理的啓典の修復、無形のカルト、この世の精神世界に存在する20の帝国の創設者なのです。預言者ムハンマドの偉業は我々人類が計り知ることができないほど偉大なのです。彼ほど優れた人間はいるのでしょうか?Lamartine, Histoire de la Turquie, Paris 1854 十字軍がいた時代、預言者ムハンマドは様々な被害や中傷に遭いました。しかし時代の移り変わりとともに、宗教に対し慣用的になり、思想の自由が生まれ、今までイスラム教に対して否定的であった欧米の見方が大きく変わったのです。 しかしながら、欧米諸国は未だに預言者ムハンマドがこの世の真実の証であること、そして、神の唯一最後の提唱者であることを気づいてはいないのです。 預言者ムハンマドによる客観的実在と啓蒙活動について、欧米は偽りの目的の目で判断をしています。欧米諸国は預言者ムハンマドの規律と偉業を証明しているにもかかわらず、預言者ムハンマドを神の提唱者として証明することを断固として否定しているのです。預言者ムハンマドは実在したのです。無秩序であった元々の世界に規律と秩序を設立し、偏見のない、かつ、理性的な世界を設立したのは預言者ムハンマドただ一人なのです。 預言者ムハンマドは40歳まで政治家や提唱家、雄弁家として知られていませんでした。形而上学、倫理、法律、政治、経済学、または社会学などを議論することもしませんでした。一般的な人間でした。生まれ持った温厚な性格で人々は大変良い印象を預言者ムハンマドに抱いていましたが、誰一人とこの男性に世界を覆す力を持っていたなど予測もしていなかったのです。ある時、彼はヒラの洞窟で生活をしていました。正直ものであった彼はそこで全く別の人格、詐欺師に変わったのです。彼は自身を神からの使者だと名乗ったのです。人々は激怒しはじめました。と同時に、彼の途方もくれるような苦労のはじまりでもありました。 ある人は彼に尋ねました。 「いったい何のためにここまで諦めず懸命になれるのですか?」 彼の説教や教義を聞くために大金のお布施とある土地の王の称号を捧げる約束をもちかける者も現れました。彼は一切の誘惑を拒否し教義をし続けました。数々の否定的意見や非難、暴動にも屈することなく唱え続けたのです。 さらに、彼はキリスト教徒やユダヤ教徒からの敵対の意思があることもすでに予知していました。この全宇宙で唯一の神はアッラーですので、キリストやモーゼなど初めから存在しないのです。もし、大きな目的と少しの意味と想像を超える結果が人類学史上3つの基準であるならば、彼の偉業はそれらと比較するに値しないのです。武器や法律や帝国は名の知れた人間たちが作り出したものでしかありません。技術は物資を産み、物質は人間をだましてきました。しかし預言者ムハンマドは軍隊、立法、帝国、民族だけでなく、王朝、そして当時存在していた人類の3分の1までも揺り動かしたのです。それだけではありません。彼はその他の神々、宗教、祭壇、思想、信念、そして全ての魂をも揺り動かし、彼の勝利への忍耐と野心は完全に一つのアイデアに捧げられたものであり、帝国を支配するものではありませんでした。彼の無限の祈り、神との神秘的な会話、彼の死と彼の勝利は死後も伝えられました。人や魂を欺くためではありません。彼は神によって教義による癒しの力を与えられ、その確固たる信念と教義は神のそれと一致するのです。前者は、神は非物質性だと唱えますが、後者はそれを否定しました。剣で偽りの神々を打ち負かすのではなく、言葉で神の思想を記し、告げたのです。 預言者ムハンマドとは哲学者、雄弁家、使徒、議員、戦士、思想家、合理的経典の修復、無形のカルト、この世の精神世界に存在する20の帝国の創設者なのです。預言者ムハマンドの偉業は我々人類が計り知ることができないほど偉大なのです。彼ほど優れた人間はいるのでしょうか?Lamartine, Histoire de la Turquie, Paris 1854,Vol.Ⅱ,pp.276-77. これはプロパガンダではありません。人類の探求心を説く、永遠に続く宗教なのです。彼の教義は純粋かつ完璧なのです。彼が刻んだ教義は12世紀に起こったインド、アフリカ、トルコの改宗者による革命後、メッカとメディナに保存されました。イスラム教徒は他による人間の感覚と想像力のレベルまで信仰と献身を減らそうとする誘惑から一様に耐えてきました。神は唯一無二である、神の使途はムハンマドである。ムスリムはこの単純かつ不変の祈りを唱えるべきなのです。 知的な印象のある神は目に見える偶像によって劣化、堕落することはありませんでした。預言者の名誉は人類の徳を逸脱することなく、彼の弟子たちからの謝意も理性と宗教の範囲内で自制されていました。それも彼の生きる教訓のひとつだったのです。 Edward Gibbon and Simon Ocklay, History of the Saracen Empire, London 1870, p. 54. アラブの偉大な預言者である彼の人生と性格を研究すれば彼がどのように教え、どの様に生活していたのかは、賞賛の美なくして表すことはできません。 全宇宙に君臨する唯一無二の神の使者の一人であり、預言者ムハンマドは金剛(こんごう)不壊(ふえ)(非常に堅固で、決してこわれないこと)なのです。 多くの人には馴染みがあるかもしれませんが、私自身はコーランを再読するたびにアラブの師である彼へのまた違った尊敬と賞賛を感じるのです。 Annie…

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Status of Women in Islam

Status of Women in Islam

イスラムにおける女性の地位 コーランで概説されている女性の権利はコーランにも記してあり、ムスリムの間では広く行われています。しかし、ムスリム女性が無知で、抑圧され、従順であるというイ メージはステレオタイプです。家族の結束、幸福、個人のイスラム概念に対する信念が自己の存在であり、その教えを欺くならば女性にも同じ罰が下る。 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において 女性の権利と責任は男性のものと同等ですが、 同一ではありません。この違いは、男性と女性では生理学的および心理的な構成が異なるからです。 イスラムの女性の地位は、今日でも浸透しています。 イスラムの教えが存在しなかった時代では、女性は両親の敵とされ、生まれて間もない赤ん坊を生きたまま埋め殺していたのです。また、女性は性の対象や品物として、長きにわたって売買されていたのです。 この劣等で法的無能の粗悪な環境から、イスラムは女性を影響力のある立場に引き上げたのです。 実際、女性にとってイスラムは特別なものであることが証明されています。参照:The Cultural Atlas of Islam 著者 Ismail al-Faruqi しかしながら西洋による熱心且つ偏った思想でイスラムは女性を征服していると広められてしまったのです。 女性の権利と責任は男性のものと同等ですが、 同一ではありません。この違いは、男性と 女性では、生理学的および心理的な構成が異なるからです。この事実を知ればイスラムの教えは女性と男性を同一ではなく公平に判断していることがわかるのです。 昨今よく訴えられるという平等の意味ですが、平等という言葉は誤解を生みます。イスラムは男女の相違を理解した上で、敢えて、公平を選んだのです。 精神的側面 コーランでは昔からイスラム教徒では女性は人類になくてはならないものだと証言されていま す。 その昔、イスラム教はキリスト教の聖書にあるイブがアダムを神に欺くように誘惑し、没落させた、という考えに異論を唱えました。 コーランには以下のように書かれています。 ”神に欺いたのはイブだけではありません。アダムも同様 です。” よって女性は悪の根源という見方を完全否定したのです。 世界や様々な教えの女性の権利と責任、また、動物と同等なのか否か、男性への性の対象でしかないのか、など議論されているなかで、イスラムはまた以下のように唱えたのです。 人類を讃えよ。我々は一対の男女から人類を創りだした。 [コーラン 49:13] 女性と男性は同等であり、権利や義務も同じであると神は約束したのです。 我々はいずれの人類も決して無駄にしない。なぜなら男性も女性も我々が創造した同じ人間なのです。[コーラン3:195] と、あるようにイスラム教は女性に独立したアイデンティティーを創り出したのです。女性も権利を有し、己の信仰心で道徳を見るように説いています。 社会的側面 女性も男性と同様に教育を受ける権利があります。約14 世紀前、預言者ムハンマド は宣言しました。イスラム教徒の男女は学問を探求すべきである。この宣言から解釈できるように、イスラムの教えは長い歴史を通じて浸透して行ったのです。 イスラムは社会での女性の地位を高め、男性と同じ地位であることを前提にしてきました。場合によっては、例えば出産、そして、母という立ち位置はすでに男性よりも優れているといえるのです。ですから、預言者ムハンマドが 「この世で誰を一番に愛すべきなのか?」とある男に尋ねられたとき、預言者ムハンマドは 「あなたの母親です」と答えました。 男は続けて質問をしました。 「では、二番目に愛すべき人は?」 「あなたの母です。」 「では、3番目は?」 「あなたの母です」 「では4番目は?」…

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